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蔵元訪問記 酒商山田 蔵元訪問記
店主が訪れた蔵元をご紹介します。
(2002年)

【黒糖焼酎の蔵元紹介】

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2002年08月27日(火) ,黒糖蔵元紹介その1.

黒糖焼酎の蔵元紹介、その1 喜界島の朝日酒造、喜禎浩之・ルミさんご夫妻です。広島にもお越しいただいた事がりますが、黒糖の蔵元の中でも特に元気な蔵元の1つです。喜禎さんのお父さんは朝日酒造の社長でもあり、同時に奄美大島酒造組合の理事長も兼務していらっしゃいます。最近人気の「壱乃蔵朝日」「飛乃流朝日」は喜禎浩之さんの発案と造りによるもので、食中で飲める黒糖酒をコンセプトに造られたものです。ルミさんの大島紬が素的ですね。
 喜禎ご夫妻は、元気で明るいお似合いのカップル。浩之さんが飛んで行かないようにいつも夫婦で仲良くいらっしゃいます。 

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2002年08月27日(火) 黒糖焼酎蔵元紹介その2.富田酒造です。

黒糖焼酎の中で、40個の甕で黒麹を用いて兄弟3人で仕込まれています。富田酒造の銘柄は「竜宮」ですが、香りは南国のフルーツを想わす甘い香り、しっかりとしてまろやかな深みを感じる黒糖焼酎です。写真は富田専務ですが、造りも専務を中心にされています。お人柄はたいへん気さくで楽しい方です。10年位前から「甕」の時代がくるとの思いから「甕」と「黒麹」に拘った造りをされてきましたが、現在は人気から入手困難になりつつあります。 

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2002年08月27日(火) 黒糖焼酎蔵元紹介その3.山田酒造です。

山田酒造はわずか150石の生産量。山田酒造は水に拘り、鹿児島の霧島山中に理想の水を見つけ、独自のテーマを持った黒糖焼酎造りをされています。左が山田社長、右がご子息の隆博さん。隆博さんは東京農大を卒業後、東京の卸で修行ののち、2年前に蔵に帰られました。現在鹿児島の黒瀬杜氏について修行をされておられますが、将来は自分自身の焼酎を造りたいとの夢を持たれています。
 代表銘柄は「長雲」ですが、ソフトでくちあたりのよい味わいは当店でも人気上昇中です。

【竹鶴 訪問】

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2002年06月25日(火) 竹原 竹鶴さんの蔵です。

先週の日曜日、三原のみはらし温泉に行き、帰り道、竹原の町並み保存地区に立ち寄りました。この地区に堂々として落ち着いた佇まいをみせるのがこの「小笹屋竹鶴」です。古くは竹原は製塩の盛んな地でしたが、竹鶴さんも「小笹屋」として製塩業を営んでおられました。ある時家裏の竹やぶに鶴が飛来して巣をつくった事を「古来、松に鶴と聞くとも、竹に鶴とは吉兆なり」と喜び「小笹屋竹鶴」と号しました。江戸時代の享保18年「酒株」を得て酒造業を始め、約260年間酒造業を営んでおられます。明治に入り、当主が「竹鶴」と名乗り、酒銘も「竹鶴」としたため、蔵元名と酒銘が一緒という全国でも珍しいことになっています。ニッカウヰスキーの祖で日本のウイスキーの父と言われる竹鶴政孝の生家でもあります。
(この写真を撮っていると偶然竹鶴社長が写真右手のご自宅から出ていらっしゃいました。写真だけ撮っておいとましようと思っていたので、びっくりしました。)

【鹿児島 (晴耕雨読) 佐多宗二商店 訪問】

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2002年06月15日(土) 鹿児島 晴耕雨読の佐多宗二商店です。

晴耕雨読の佐多宗二商店に伺いました。この4月に当店にご来店になりましたが、一度お蔵にも伺うお約束をしており、今回の訪問となりました。佐多宗二商店は、鹿児島の薩摩半島、揖宿郡頴娃町(イブスキグン エイチョウ)に位置しますが、温泉地として有名な指宿市(イブスキシ)は車で30分程南下したところです。南薩摩はさつまいもの産地として有名ですが、この頴娃町は屈指の名産地です。この名産地から生まれたのが、「晴耕雨読」。地元の黄金千貫で仕込み、若干の米焼酎をブレンドした焼酎ですが、切れ味のよいすっきりした味わいの仕上がりとなっています。

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2002年06月15日(土) 佐多宗二商店の矢部雷太さんです。

先日ご来店され、今回は蔵をご案内いただきました矢部雷太さんです。世界的に有名な声楽家にも似ているし、町で人気のフレンチレストランのオーナーシェフのようにも見えますが、実は焼酎造りの情熱家です。最初お会いした時には、私よりいくつ上?と思っておりましたが、なんと33歳!貫禄十分の矢部さんです。佐多宗二商店の焼酎造りのコンセプトは、全国市場を念頭におき特に女性と都会がテーマです。マーケティングや営業努力を惜しまず、大都市圏の居酒屋レストランに積極的に進出し、芋焼酎のファンを広げています。ここ2〜3年鹿児島を訪問するたびに思うのですが、若い蔵元や蔵内の人がとにかく「熱い」!この日の前日も鹿児島の天文館で夜中2時まで飲んでいましたが、若い人が明け方近くまで喧喧諤諤、焼酎への熱い想いを胸に意見を戦わせています。これからも焼酎人気は続く気がします。

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2002年06月21日(金) 佐多宗二商店の甕貯蔵。

佐多宗二商店の甕貯蔵を拝見しました。黒麹仕込みの原酒と白麹仕込みの原酒を試飲しましたが、どちらも角の取れた丸い味わい。この甕は、下に1mも埋もれていますが、甕の口ぎりぎりまで旨い焼酎が詰まっています。この甕の焼酎は秋には出荷となるとの事。その時が待ち遠しい限りです。この奥の部屋には、小さな素焼きの甕に入った長期貯蔵の焼酎が数十本眠っています。こちらも試飲しましたが、何とも言えぬ柔らかさ!ビニール袋がかぶせてありまたが、水滴がついており、甕が呼吸しているのが分ります。試験的に素焼きでないコーティングしてある甕に入れてあるものがありましたが、ビニールには水滴はついていませんでした。さて、この焼酎ははたしていつどのように販売されるのでしょうか?

【鹿児島 田村合名会社 訪問】

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2002年06月10日(月) 田村合名会社の桑鶴代表です。

「薩摩乃薫」「純黒」で知られる、鹿児島の田村合名会社にお邪魔してきました。当店では昨年より焼酎を取り扱わせて頂いておりますが、田村合名さんは初めての訪問です。鹿児島から車で約1時間、蔵は開聞岳の近くにありました。蔵のある山川町はさつまいも発祥の地といわれていますが、この地でとれた厳選した黄金千貫で焼酎造りをされています。桑鶴代表は1982年に亡くなった前社長の後を受けて、86年に代表に就任され、現在は指宿酒造組合の理事長他、いくつもの地元での要職を兼務されています。お人柄は優しい「お母さん」といった感じ。前職が保育園の保母さんだからですか?(お父様の経営されていた保育園で)と尋ねると、「結構言いたいことは言うんですよ」と。なんでもてきぱきとこなされる印象はありますが、お話していてなにかしら「ほっ」とできるお人柄です。

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2002年06月12日(水) 薩摩の薫、純黒の蔵。

10日にご紹介した田村合名の蔵内です。通常の甕仕込みの蔵との違いがお判りになりますでしょうか?通常であれば、甕は地面から25cm前後出ているのですが、田村合名の蔵の甕は70cmくらい出ています。桑鶴代表にその理由をお尋ねしたところ、この付近は地下1m以上掘ると温泉がでるため、掘るのは1mまで。敷地内には温泉の源泉があり、お風呂は天然温泉だそうで、なんだか羨ましいお話です。仕込み水は山からの湧き済みを使用しているとの事でした。田村合名の焼酎は、白麹で造る「薩摩の薫」、黄麹の「鷲尾」、黒麹の「純黒」があり、純黒には1次2次共に甕仕込みの純黒と2次はホーロータンクの純黒があります。最近は白麹と黒麹の無濾過も出されるようになりました。

【熊本 寿福酒造 訪問】

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2002年05月22日(水) 熊本 寿福酒造を訪問しました。

先日取り扱いを始めさせていただきました、熊本県人吉市の寿福酒造を訪問してきました。蔵元の寿福絹子さんは、球磨焼酎29蔵で唯一の女性杜氏。球磨焼酎が一斉に減圧蒸留に変わった時にも、頑として常圧蒸留を守り続けたお蔵です。現在の石数は約300石。球磨川の傍にお蔵は位置しますが、川の拡張により、元の仕込蔵は取られてしまい、現在はほんとうに小さな場所で丁寧な仕込みをされています。

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2002年05月24日(金) 寿福酒造の仕込み蔵。

寿福酒造の仕込み蔵です。以前はこの奥に広い仕込み蔵があったとの事ですが、何十年か前の川の拡張に伴い、無くなってしまいました。現在は蔵内の小さな場所にて製造されていあます。1次仕込みは甕仕込み、2次仕込みはホーロータンクですが、こんな小さなタンクは他ではあまり見掛けません。あくまで「手の中で育てられるように・・・」との思いからだそうです。仕込み蔵の中には絹子さんがお描きになった絵がところどころに置いてあります。薄暗い蔵内にあって、ほっと心が和む絵です。今年蒸留した焼酎に櫂入れをさせて頂きました。そうすると中から油脂成分が沸いてきます。小さな玉のように見える油脂成分を絹子さんは団扇で「こっちおいで」と言いながら集められました。それを丁寧に柄杓で掬い取られました。焼酎造りは「子育て」。その言葉に偽りはないように思いました。

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2002年05月24日(金) 武者返し とは?

寿福さんの蔵の現在の代表銘柄は「武者返し」。以前は「寿」だったそうですが、全国各地に「寿」のラベルがあるため、かなり昔に「武者返し」に変えられたそうです。その理由は・・・。蔵の直ぐそばに人吉城があり、その城壁の上部が「武者返し」になっているからだそうです。蔵からの帰りに早速見に行ってきました。なるほど、これが武者返し!その昔忍者が壁を登ってきてもこの出っ張りによって退散させることができるよう工夫されたものだそうです。これが「武者返し!」1つ賢くなりました。

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2002年05月24日(金) 絹子さんの「ハナタレ」

絹子さんのとっておき「杜氏きぬ子 初留取り」です。米焼酎と麦焼酎のハナタレで44.9度あります。 それぞれ年間たったの500本しか詰めることが出来ないそうです。冷凍庫から取り出し、注いで頂きました。「旨〜い!」色々と初留取りは飲んでいますが、こんなにも角の無い品は無いほどの絶品!でも今年は既に無いそうです。来年はお願いできるかな?

【静岡 「喜久酔」青島酒造 訪問】

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2002年05月04日(土) 静岡「喜久酔」青島酒造を訪問。

静岡県藤枝市の「喜久酔」青島酒造を訪問させて頂きました。青島酒造はその丁寧な造りから、銘醸蔵が多い静岡にあっても特に注目をされている蔵です。ご子息の青島孝専務は大学卒業後某外資系の会社に就職され、米国で活躍されていましたが6年前に蔵にお戻りになりました。帰国後広島の醸造研究所にて勉強され、その後蔵にお入りになりました。青島専務とは、広島での研究所時代に初めてお会いしました。青島さんの誠実で実直なお人柄に触れ、また喜久酔のさわりないきめ細かな酒質は私を魅了し、お取引をお願いした次第です。

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2002年05月04日(土) 「喜久酔」青島酒造その2.

和製ジョン・ローンと言われている?青島専務です。青島酒造は製造石数約750石のお蔵ですが、実際の需要は生産石数を大きく上回る人気の銘柄です。青島酒造の考える酒は食中で飲めるさわりない味わいの酒。酒造りは「自然と向き合い、心を無にして素直な気持ちで愛情を持って育てる。いつも通りの事をいつものように自然に続けていく」こと。今年の造りは杜氏と専務、20代の若い蔵人と共に仕込みました。私がお伺いした折は造りを終わっていましたが、来期の造りに向けての道具の手入れが本当に几帳面に行われていました。これも「いつも通りの事をいつも通りに」なのだと思います。

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2002年05月06日(月) 喜久酔の仕込み水

喜久酔の仕込み水は大井川の伏流水を汲み上げています。水温は年間を通じて15度に保たれており、水質は軟水。最近は酒造りにあったマンガンや鉄分を含まない良質の水を加工することも出来ますが、やはり酒造りにとっては水は命、良質の水が湧き出るところには銘酒があります。この水を飲ませていただきましたが、ほのかな甘みを感じる滑らかな味わいでした。「喜久酔」の酒に通じる何かがあるような気がします。

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2002年05月11日(土) 喜久酔の麹室

喜久酔の麹室を拝見させて頂きました。外側はなんと始めてみるコンクリート製。この麹室は現在吟醸酒協会会長の篠田次郎先生が40年前に設計されたものだそうです。篠田先生は色々なお蔵の設計に関わっていらっしゃいました。広島の賀茂泉もそうですが、賀茂泉では蔵の人にとって動きやすい設計となっています。奈良の山鶴さんも先生の設計ですが、実にコンパクトな設計となっていました。喜久酔のお蔵の麹室は先生が若い頃の設計だそうですが、どこも直さず40年間使われているとの事です。

【香川 丸尾本店訪問】

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2002年03月26日(火) 香川 パラダイスツアー

3月21日春分の日に香川パラダイスツアーを企画しました。バスには総勢27名で、丸尾本店見学希望者、中野うどん学校参加者、金毘羅さん参りの3チームが乗り込みました。福山SAと与島PAで休憩後、「ぶっかけうどん山下」で讃岐うどんを満喫、その後、3班に分かれての勉強と観光です。

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2002年03月26日(火) 丸尾本店 蔵見学その1.

午後1時に丸尾本店に到着。丸尾社長、奥様、ご両親にご挨拶をし、早速蔵見学の始まりです。以前お伺いした折の「木製甑」も健在で、この前で丸尾社長のお話が始まりました。皆造(酒造りが終了)は3月6日にされたとの事。丸尾本店では600K仕込みと1トン仕込みで仕込まれており、通常のお蔵の仕込みに比べ、小さな仕込です。丸尾本店の仕込みは小さなタンクで酒を見守りながら醸す印象です。丸尾社長の頭の中には今年の仕込んだすべての酒の成長具合が頭の中に詰まっています。丸尾本店ではプレハブ冷蔵庫5台ありますが、管理温度は5度〜10度。斗瓶でも5〜6度に置き、熟成も大切との考えをされています。丸尾社長は昨年から製造責任者も兼ねておられますが、忠興の一文字をとった「興(こう)」は昨年も大変な人気。H13BYの造りの第一号の仕込みは「興」でしたが、店頭で即日完売したそうです。悦凱陣の酒は新酒生で飲んで旨い酒と寝かせて真価を発揮する酒があります。今年の新酒はどうでしょう?

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2002年03月27日(水) 丸尾本店 蔵見学 その2.

蔵を一通りご案内頂いたあと、今年の新酒の利き酒が始まりました。タンク毎に酒を汲み、利き猪口を並べます。既に1〜2号は完売。3〜4号、から26号まで全部で18種類の酒の利き酒です。参加の方々も真剣に香り、含み香、味わいを見ていきます。どの酒もそれぞれ特徴があり、悦凱陣らしい酒、らしくない酒色々です。広島に帰ってからお酒のお願いをするためにタンク毎に味わいのメモを取り、社長からのお酒の詳細を記入していきます。
 既に、今年の新酒は当店に入荷していますが、今後はどの酒をどの位頂けるか交渉です。今年の悦凱陣も期待して下さい。

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2002年03月27日(水) 丸尾本店 その3.

蔵見学終了後、お蔵の前で記念撮影です。ご参加いただきました皆様有難うございました。

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2002年03月29日(金) 香川 一鶴 の鳥と生ビール。

今回のもう1つの目玉、一鶴に行って鳥と生ビールを飲む事。中野うどん学校、金毘羅さんお参り、悦凱陣酒蔵見学者の合計28名で立ち寄り、おや鳥、ひな鳥、生ビールを満喫しました。帰路のバスの中、丸尾本店で頂いた「悦凱陣 無濾過生原酒」は約10分で完売、あとは持参の焼酎とビールで大騒ぎ。広島に近づくに連れ、グーグーとお休みになる方が増えました。心地よい疲れの1日旅行となりました。

賀茂泉 訪問】

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2002年03月01日(金) 賀茂泉 社屋と前垣社長宅です。

酒都西条の銘酒「賀茂泉酒造」の社屋と前垣社長宅です。賀茂泉酒造は先々代の前垣壽一さんが大正元年に個人で清酒製造業を始められました。その後法人成り後、先代の前垣壽三社長が就任され、平成元年に前垣壽男社長にバトンタッチされました。
 前垣社長は就任後、平成3年に新蔵の建設に着手、平成4年に新蔵が完成しました。新蔵は吟醸酒協会会長で建築家の篠田次郎先生による設計の蔵です。

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2002年03月01日(金) 賀茂泉「延壽庭」。

賀茂泉の延壽庭です。昭和30年に造園家「重森三玲」師により庭が造られました。この庭は枯山水様式で造られ、四季を通じて楽しめる庭石の苔、周囲の木々との調和、白砂の流れが素晴らしく、飽きることの無い趣のある庭です。木々の落ち葉も石の裏に落ちるよう設計され、手入れもし易いよう工夫されています。
 利酒師体験実習は利酒師6名の参加で24日の夜に始まりました。翌25日蔵の体験実習の1日目が終了後、この庭を見ながらのひと時を過ごし、蔵元との懇親会に移りました。

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2002年03月02日(土) 賀茂泉 前垣蔵元の酒袋の品。

賀茂泉 前垣蔵元所有の酒袋の品です。最近は酒袋自体を使う蔵が少なくなり、使っている場合も化繊のものですが、以前は麻を柿しぶで染めたものを使っていました。何故柿しぶを用いたのかは、防腐効果があるの他にも理由があったのではないかと思います。(また調べておきます)当店にも戴いた柿しぶの酒袋がありましたが、テーブルクロスに変わっています。柿しぶの酒袋を用いた小物は時折見かけ、広島の竹鶴の竹鶴社長が酒袋のベストを着ていらっしゃるのを見かけたことがあります。
 懇親会の最中、酒袋の話しになり前垣社長が隣の部屋から持ってこられたのが、この品々です。ブレザーを着せて頂きましたが、かなり重量感があります。なんとも言えない趣があり、今作ろうと思っても出来ないところに価値があると思います。ベスト、カバン、袋、蔵元ならではの作品ですね。 (右上のお尻の人物は、前垣社長です。スミマセン)

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2002年03月06日(水) 賀茂泉 増田杜氏(常務取締役)です。

増田杜氏(常務)は、学者のような風貌をされています。ところがお話をしてみると大変気さくで穏やかなお人柄です。今年の体験実習で既に5回目となりますが、毎回快くお引き受け戴いており、 前垣社長、増田杜氏を始め、蔵の皆様、ご家族の皆様にはほんとうに感謝しております。

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2002年03月06日(水) 賀茂泉 仕込蔵、発酵室です。

賀茂泉の仕込蔵の中の「発酵室」です。オールステンレスタンクで温度管理もできるサーマルタンクです。この発酵室が見える大きな窓があり、そこが増田杜氏の杜氏室兼分析室があります。先般書きました篠田次郎先生による設計ですが、篠田先生は賀茂泉だけでなく数多くの蔵の設計にも携わっていらっしゃいます。以前訪問した蔵もそうでしたが、その蔵は約500石の蔵でした。その蔵は非常にコンパクトに設計されており、蔵の規模から言って無駄な動きの少ない設計がなされていました。賀茂泉はその十倍以上の石数がありますが、石数に見合った動きやすい設計となっているのは共通したところです。

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2002年03月07日(木) 賀茂泉「酒」の書は・・・・。

賀茂泉の仕込み蔵の玄関を入り、2階に上がるところにこの「書」は掛かっています。賀茂泉のラベルにはこの「酒」の文字が書かれてありますが、この書は賀茂泉の大奥様のご親戚である奈良の東大寺の元館長がお書きになったものです。その書がなにげなく掛かっているところに感心する次第です。

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2002年03月13日(水) 3月6日の装置は「プレートヒーター」でした。

3月6日にご紹介しました装置は「プレートヒーター」です。「プレートヒーター」は火入れの装置です。火入れは1、火落ち防止の為の殺菌、2、貯蔵中の品質劣化を防ぐために酵素の破壊(失活)のため の2つの目的のため60度〜65度に加熱します。火入れはこの「プレートヒーター」以外にも「蛇菅」によるもの(釜に湯を張り、その中に蛇菅を入れ、その蛇菅の中に酒を通して加熱する方法)、瓶燗(瓶詰めされた酒を大きな四角い桶に中に並べ、加熱する方法)があります。瓶燗は酒への影響が最も少ないと言われる方法ですが、最も手間のかかる方法でもあります。日本酒ではごく当たり前に火入れは行われていますが、このような醸造酒の低温殺菌法は世界でも珍しく、日本独自のものです。火入れがいつから行われていたかは定かではありませんが、最も古い記録では室町時代からあったようです。パスツールの低温殺菌法が発見されるはるか以前から日本では行われていたことは大変な事だと思います。
 話は変わりますが、大手のNBブランド醸造メーカーの中には、常温流通が可能な「生酒」が出ています。何故「生」であるにもかかわらず、変化しないかですが、これは、(ビールの「生」と一緒ですが)限外濾過システムという分子分画の単位でたんぱく質の一種である酵素を除去するフィルターを通しているため、酵素の一種であるグルコアミラーゼや生老ねの原因とされているアルターグルコシダーゼが取り除かれており、そのために常温でも酒質への影響が殆どないから可能な事なのです。この限外濾過は、0,002マイクロミリの単位で行われます。通常の有機物の除去や除菌だと0,04〜0,03マイクロミリの単位でいいようですが、限外濾過の単位で濾過をすると「常温流通」は可能となりますが、酵素のみならず、旨味物質も取り除いてしまうこともあるようで、マイナス面の影響もあります。

亀齢 訪問】

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2002年02月26日(火) 広島西条「亀齢」を訪問。

広島の酒都「西条」の銘醸蔵「亀齢」を訪問しました。亀齢は江戸期に創業、古くは「吉田屋の酒」として親しまれました。亀齢は明治初期「鶴は千年、亀は万年」の言葉のように「長命と繁栄を願って名づけられました。元々広島の酒の中でも品質本位で亀齢を選ぶ方は多くありましたが、4年前より香川の悦凱陣の元杜氏 西垣信道杜氏を迎え、更なる品質向上に努めています。一般酒の比率が高い蔵ですが、ここ数年は純米酒に特に力を入れており、本醸造クラスも格段に酒質が向上しています。

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2002年02月26日(火) 亀齢の仕込み蔵。

亀齢の仕込み蔵です。5号蔵となっていますが、現在の仕込み蔵はこの5号蔵で行われています。平成5年には7800石あった石数も一般酒の需要の落ち込みにより現在は4000石。しかしながら、以前純米酒比率が5%もなかったものがすでに20%を越えるまでになりました。今後も亀齢の純米酒比率、本醸造以上の比率は高くなっていくと思います。

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2002年02月26日(火) 亀齢の仕込みタンク。

亀齢の仕込みタンクです。亀齢では2月25日に甑倒しを行いました。「甑倒し」は最後の米を蒸した後、もう新しい仕込には入りませんという事で、「甑(こしき)」=蒸し器を片付けることを意味します。あとはタンクの中にあるもろみが酒になるのを待つばかり。今月末で半数以上の蔵人は故郷に帰り、杜氏と2〜3人で最後の酒ができるのを見守ります。

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2002年02月27日(水) 亀齢 西垣昌弘さんです。

亀齢の西垣杜氏の息子さんの西垣昌弘さんです。現在西垣杜氏の右腕として酒造り全般をみていらっしゃいます。西垣昌弘さんは酒造り15年程のベテランで拘りの純米酒の麹・もと造りの責任者です。広島の蔵で修行の後、丸尾本店で西垣信道杜氏と共に酒造りをされ、既に杜氏としての力量を十分にお持ちの方です。西垣杜氏の「和」の酒造りの精神の下に、昌弘さんと蔵の方の気持ちが一体となって「亀齢」は醸されます。

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2002年02月27日(水) 亀齢の杜氏「西垣信道」杜氏です。

亀齢の杜氏「西垣信道」杜氏です。酒造りに厳しく、自分にも厳しく、蔵人の「和」を大切にする名杜氏。私が西垣杜氏の事を知ったのは今から7年程前になります。以前杜氏として働かれていた香川の悦凱陣を飲んだ事が始まりです。深みと味のあるまろやかな味わい。悦凱陣は今でも私の大好きな銘柄で、当店のお奨めの銘柄ですが、その味わいは悦凱陣の丸尾社長と西垣杜氏のコンビから生まれたものです。西垣杜氏は4年前、亀齢の杜氏として着任されました。以前の蔵では600キロ仕込みでで、石数も200石余り。当時の亀齢は5000石近くある規模でその仕込みも1トンが主体で1,5トン、2トンもありました。仕込みの大きさは違いましたが、短期間で西条の水と風を掴み、出来上がった酒は一段とよくなりました。「いい酒造りには粕を出さないと」亀齢の酒粕は以前にも増して白く厚くなりました。営業の上田さんは西垣杜氏の酒造りに惚れこみ、純米酒を中心に得意先を増やしていかれています。ここ2年で亀齢の取り扱い店も全国に広がりを見せ初めています。北は青森から南は鹿児島まで、少しずつ全国に亀齢の名が広まっています。

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2002年02月27日(水) さてこのタンクのモロミは何の酒になるのでしょう?

タンクを一つ一つ見てまわりました。その中に一際いい香りのもろみがありました。亀齢の上田さんと一緒に見てまわっていましたが、上田さんもびっくりのいい香り。熟れて食べごろのバナナ、パイナップルのような香り。さてどんな酒として出荷されるのでしょう?このタンクの張り紙をみると「八反45%仕込56号純吟A4」と書かれてありました。仕込総米600kgのものでした。
 今年は米の出来もよく酒造りは順調に行ったそうです。今年の仕込みは70本台。今年から600K仕込み(当店の入魂はこの造りです)が8本、残りは数本の仕込みをのぞいて1トン仕込みでされました。広島県の新しい酵母も仕込まれましたが、この酒はカプロンサンが強い非常に香り高い酒でした。県の新酵母は県下のかなりの数の蔵で仕込まれているようです。