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蔵元訪問記 酒商山田 蔵元訪問記
店主が訪れた蔵元をご紹介します。
(2000年〜2001年)

【岩手 南部美人 訪問】



2001年10月16日(火) 南部美人 訪問記その3

さて、南部美人 訪問記第2弾。杜氏の山口一さんと、久慈さん夫妻です。杜氏の山口さんは平成4年度の国の卓越技能者「現代の名工」に選ばれた酒つくりの名人です。大工の家系に育ちながら、戦時下にあって農業を営み、冬は出稼ぎに酒蔵に出るようになりました。その時、弱冠16歳。その時から酒造り58年となる大ベテランです。  その山口さんが酒造りで最も大切だと感じてるのは「水」と「麹」の相性だそうです。「仕込水と麹の相性が良くなければ、人を感動させる酒にはならない」。南部杜氏の神様と言われた故平野佐五郎(現、浦霞平野製造部長の伯父)から麹造りを学んだだけあって、その言葉には重みがあります。この山口杜氏の技は、南部美人の7代目となる製造部長「久慈浩介」さんに受け継がれています。 次回は久慈浩介さんについてお話します。



2001年10月07日(日) 岩手「南部美人」訪問記、その2

南部美人の仕込み蔵です。最近はかなり多くの蔵が代表銘柄の他に、他の名前をつけたり、小印をつけたりしていますが、この南部美人は違います。ほとんどの酒が「南部美人」なのです。先月には、社名も久慈酒造(合)から(株)南部美人に変えた位、「南部美人」にこだわりをもっています。もともと「南部美人」は昭和26年、雑味の多い甘口の酒が主流の中で「きれいで美しい味わいの酒を」との思いと、二戸市が南部藩の領地であったこと、この26年に南部杜氏を迎えたことから名づけられました。今でも7代目の久慈浩介さんは「まずい酒は許せない」の信条のもとに「旨い」南部美人造りに精魂を込めています。  この写真は仕込み蔵です。写真の右手には、最新鋭の火入れ装置と倉庫があります。蔵の奥は山の囲まれ、この地域の上流には自然の山々が連なり、多くの蔵を悩ませている仕込み水の汚染とは全く縁がない、清らかで南部美人の仕込みにはこの上ない「やや硬水」の仕込み水が井戸から汲み上げられています。私も飲ませて頂きましたが、冬はもちろん夏でも全く雑菌とは無縁の上質な旨い水でした。



2001年10月05日(金) 岩手「南部美人」訪問記、その1

月の輪の横沢さんと一緒に岩手「南部美人」蔵元へ。「南部美人」は久慈酒造合名会社から株式会社南部美人と変わりました。蔵のある二戸市は、県立自然公園の折爪岳の裾野に広がり、自然の恵み豊かな町です。蔵はほそ長い盆地の中央の町並みの中にありました。  南部美人の創業は明治35年。江戸時代の末から酒屋を営んでいた3代目が酒造権を得て酒造りを始めたそうです。この蔵をひっぱるのが、7代目の久慈浩介さん。いつもバイタリティ溢れる好青年です。浩介さんは造りの時期は杜氏と共に造りに没頭し、造りを終えると日本酒振興のためには全国はもとより、世界どこへでも飛んで行かれます。その情熱とバイタリティにはただただ脱帽です。

【岩手 月の輪 訪問】



2001年10月04日(木) 岩手「月の輪」訪問記、最終版

 「月の輪」という酒名がいつごろからあるのかは定かでないそうですが、大正15年の資料に「月の輪正宗」の名が見られることからその頃には使われていたことになります。  この酒名は、町内の史跡・陣ヶ岡森の「月の輪形」に由来します。1182年平泉館の藤原秀衡が明石村を訪れ、源頼義父子の戦跡をしのんで蜂神社を参拝したとき、後世への記念にと太陽と三日月を形どった島を配した池をつくったそうです。その池を「月の輪池」と呼んだことから銘酒「月の輪」が誕生しました。  蔵内を見学し、蔵の皆さんにご挨拶後、岩手「南部美人」に向かいます。



2001年10月02日(火) 月の輪訪問記、その3

月の輪の玄関。創業当時から変わらない風景です。県外からも人気の高い月の輪は、吟醸、純米、本醸造の特定名称酒比率が70%を超えています。個性ある酒を造る蔵元だけに、原料米、ラベルにも拘りをもっています。中でも大吟醸「宵の口」はお母さんの筆によるもの。宵の口に飲む「月の輪」の旨さに掛けたもの。お母さんやおばあちゃんも出てこられ、ご挨拶。横沢さんのご一家の温かいお人柄に触れました。



2001年10月02日(火) 岩手「月の輪」訪問記 その2

蔵に到着すると写真家の名智さんがお待ちでした。4ヶ月振りですが、相変わらず バイタリティ溢れる名智さんです。月の輪の横沢社長と裕子さんを交えての記念撮影。名智さんは次のご予定が迫っているようで、次の目的地に向かわれました。  社長とは初めての対面です。南部美人の久慈さんから、「怖いお父さん」とのイメージを植付けられていましたが、ごつい感じではありましたが、温和なお顔立ちに一安心。月の輪は岩手県内では唯一、蔵元が杜氏を兼ねる「オーナー杜氏」の造り酒屋です。「フランスではオーナーシェフに絶大な信頼が寄せられる。だったらオーナー杜氏がいてもいい。一番は自分の酒に責任をもちたかった。杜氏が変わっても味が変わることのないよう、伝統の味を造りたかった」ことから杜氏になられた横沢社長。社長は所要のため、少ししかお話できませんでしたが、そのお顔には、自信と信念、エネルギーが満ち溢れているように感じました。



2001年09月30日(日) 岩手「月の輪」訪問記 その1

25日朝、2時間半の睡眠で松島海岸を後にし、仙台へ向かい、東北新幹線で一路岩手へ。新花巻駅で横沢酒造の時期杜氏兼お嬢さんの裕子さんに迎えられ「月の輪」横沢酒造へ。途中、南部杜氏記念館と花巻空港を通り、蔵元に着きました。蔵では写真家の名智さんがお待ちで記念撮影の後、蔵を案内して頂きました。蔵は奥羽山系に源を発する清流・五内川と岩崎川の合流地点に近い紫波町高水寺に位置します。この蔵は創業明治19年。藩政時代に若狭の国から移り住んみ、代々麹屋を営んでいた「若狭屋」の三代目・横沢徳四郎が酒造りの情熱から始めたとの事です。現在の蔵元・横沢大造社長で7代目にあたります。横沢酒造の正面は、いかにも造り酒屋の堂々とした風情がありあます。ご自宅にも上げて頂きましたが、創業以来変わっておらず、タイムスリップし時間がゆっくりと流れる印象です。  つづく。

【池の鶴 訪問】



2001年09月08日(土) 池の鶴の表彰状

「池の鶴」の蔵の中です。表彰状が所狭しと並んでいました。ある水準以上の焼酎にはこの表彰状が与えられますが、この画面以外にも沢山ありました。尾込商店の焼酎は、ある意味では、水準に達した焼酎を継続して製造されていた証でもあります。尾込社長は、将来自分自身で小さくてもいい旨い焼酎を造りたいと「夢」を語っていました。社長の頭の中には、黒木本店さんの「尾鈴山蒸留所」や萬膳さんの「山小舎の蔵」があるようです。
 「夢」を持つことは大切です。私も家業に帰っていろいろな「夢」を持ちながら商いをして着ました。小さな夢、大きな夢、その夢の1つ1つを実現させて行く。会社勤めをしている時も同じでした。アメリカのキング牧師の言葉「I have a dream.」この言葉が私の好きな言葉です。つらい時、眠れない夜、いろいろな日があります。でも「夢」を持っていると、何故か気持ちが明るくなります。新聞紙上では、景気悪化の記事が紙上を賑わせていますが、知恵を絞って「目標に向かって一所懸命に頑張る」事が大事な事だと思います。
 尾込社長の「夢」を実現するために、私もその一翼を担いたいと思います。  頑張れ尾込社長!

【萬膳酒造 訪問】



2001年09月01日(土) 萬膳酒造 その2 萬膳のラベル貼り付け作業です。

萬膳酒造での、出荷作業の一部です。ラベルを1枚1枚貼り、袋に入れ紐をまく作業です。1本1本丁寧な作業が続きます。1ヶ月の出荷量は極僅か。見えるだけの量がその分です。小さな蔵での手造り焼酎は、最後の出荷作業まで手作業です。





2001年08月30日(木) 萬膳酒造 その1 山小舎の蔵です。

霧島山中の普段は人も通らないような山道。車一台がようやく通れるような道です。私の車も左右の草木に当たりながらの前進です。こんな道の先に何があるのでしょう?
細い道を進んでいくと山小舎の蔵が現れました。小さな手造り蔵、萬膳酒造です。 ご存知の方も多いと思いますが、酒蔵が減少する中、2年程前に新しく新蔵を作り、生産を始めたのがこの萬膳酒造。もともと万膳さん(現社長)のお父さんの時代までは焼酎造りをされていまっしたが、39歳の若さで他界され、その後蔵をたたまれていたのですが、焼酎造りの想いは断ち切れず、その想いを39歳の時に実現された蔵がこの手造り蔵なのです。
 杜氏の宿里さんは万膳さんのおじさんであり、焼酎造り50年を越える大ベテランで、焼酎造りの名人。現在、当主の万膳さんと宿里杜氏の2人で焼酎を造りをされています。9月からはいよいよ仕込みが始まります。

【賀茂泉 訪問】



2001年02月05日(月) 賀茂泉に行ってきました。

昨日から今日の昼まで西条の賀茂泉で蔵入りをしてきました。お手伝いしているSSIの体験実習のコンダクターとしてです。この写真は重森三玲先生による賀茂泉寿延庭です。この庭を拝見したあと、前垣蔵元宅にて懇親の場を設けて頂きました。尚、このお庭は一般には公開しておりませんが、素晴らしいものです。

【鹿児島 訪問】



2000年10月10日(火) 銘酎を訪ねて。 その2

10月8日にお話した焼酎蔵の社長夫妻です。焼酎造りは社長お一人でされています。 大変素朴で飾り気のない方で、いままで地元の方への焼酎造りをこつこつとされてきた ようです。ほんとうに小さな焼酎蔵です。貯蔵した焼酎には今まであまりご興味がなかった ようですが、実際貯蔵された焼酎を味わってみるとこれが何とも言えない深みと角のとれた まるい味わいだったのです。社長に「宝の酒ですね」とお話したところ、不思議そうなお顔 をされました。



2000年10月08日(日) 隠れた銘酎を発見。

鹿児島は芋焼酎の産地として名高く、伊佐美、森伊蔵、村尾を始め多くのすばらしい焼酎が知られ、最近は富乃宝山や海が人気を博し、その他個性ある芋焼酎が注目を集めています。その中で、未だ手付かずの蔵があるとききつけました。写真の蔵ですが、金津町にある小さな蔵です。ここの焼酎は地元で大変強く、今まで地元中心の販売をされてきたそうです。蔵の中に入ると、十年以上寝かされた芋焼酎がありました。以前「芋焼酎は熟成には向かない」と芋焼酎を指導される先生方が指導されていたため、なかなか芋焼酎の古酒はみつかりません。

【香川 金陵 訪問】



2000年05月08日(月) 香川の「西野金陵」の元の醸造場です。

土曜日に香川の琴平に行きました。ここには四国を代表する清酒「金陵」の郷が あります。現在は高松市に醸造所があります。1789年創業の老舗で、同年 琴比羅神宮のご神酒になりました。この写真の建物は金毘羅さんの参道沿いに あります。

【香川 悦・凱陣 訪問】



2000年03月15日(水) 「悦・凱陣」訪問記。その3「木製甑」

今日は木製の「甑」の写真です。現在このような木製甑を使用している蔵は ほとんどないと思います。この甑の中央部に蒸気を取り入れる「甑穴」があり、 その上に蒸気を分散させる「コマ」を置き、さらにその上に「サナ」を置き、 浸漬米を張り込みます。  最近はアルミニウムやステンレス製のものがほとんどです。金属製の甑の場合 は、内壁に水滴が生じ、内壁接触部分に柔らかい「甑肌」が出来やすい為、外壁の 保温が必要となります。木製の場合はこの「甑肌」が出来にくいと言われております が、この凱陣では少量のお米を蒸すときには、ポリプロピレンを用いた擬似米を使用し、 甑肌ができないよう工夫がなされています。  明日は、利き酒風景です。



2000年03月14日(火) 「悦・凱陣」訪問記、その2

今日は「和釜」の写真です。石川五右衛門が釜茹でになったと言われるのが 「和釜」ですが、現役で蒸米に使用されている蔵は少なくなりました。昔は 薪を炊いて湯を沸かしその水蒸気で蒸していましたが、現在使用している蔵でも バーナーで炊くようになりました。  私が小さい頃、五右衛門風呂を使っていましたが、現在ではほとんどの家庭で 見られなくなりました。ちなみに五右衛門風呂の製造を現在でも行っているのは 広島にある会社だけという話です。蔵を訪問して「和釜」を見るとほっとするのは 私だけでしょうか?



2000年03月13日(月) 香川「悦・凱陣」を訪問しました。

今日からは「凱陣(がいじん)」の特集です。  昨日の朝7時に広島を出発し、香川の「悦・凱陣」の丸尾本店に行ってきました。 この蔵は1855年(明治18年)創業の蔵で、幕末には高杉晋作や桂小五郎らが 出入りした事で知られる由緒ある蔵元です。石数は約400石。昔ながらの甑を用 いて丁寧な酒造りを行う蔵元です。当店とは5〜6年前からお取引をさせて 頂いております。酒造りはご子息の丸尾忠興専務と杜氏の2人3脚で魅力ある酒を 醸されております。現在の杜氏さんは「井上道孝」さん。この方の酒は丁寧な仕込みが そのまま酒に表現されており、豊かなコクと香りを楽しめるお酒のラインナップです。  明日は蔵内へご案内致します。