【Vol.5
合併問題】
今回は県内の合併問題について。
(それはそうとなんか最近、テーマが真面目だよなぁ…)
ここ数日、選挙運動が活発で街はとても賑やかだ。
特に今年の選挙戦は、今後の山口を大きく変える重要な意味を持っている。
皆それぞれ「山口を変えたい!」という思いは例年に比べ強い。
そして、今月25日に決まる市議選を経て、
県内において直面している問題のひとつが「合併問題」だ。
新幹線駅を保有する小郡町と山口市との合併や、
徳山や下松をはじめとする3市2町の周南合併が大きなところだろう。
数年前から計画され討論を繰り返しているが なかなか進展が見られない。
これらを解決していくのが議員たちの大きな仕事となることは間違いない。
ところでこの合併問題だが、
山口では、終戦後の昭和20〜30年代にも大きく取り上げられていた。
戦後、県下の地方公共団体は、支出の増大とインフレなどの原因により、
財政難に苦しんでいた。昭和26年には22年度の8倍以上の赤字を出していた。
これらの市町村財政の窮状を打開するため、
昭和28年に町村合併促進法が山口県において大々的に公布されたのだ。
計画によれば、人口8000人を町村の最低基準として合併することになっていた。
ところがやはり住民の反対や行政問題に悩まされ 合併は難関を極めた。
そのため、当初の計画もたびたび変更されることとなった。
だが合併は着々と進み、昭和29年には大津郡深川町など4町村をもって長門市が、
また、玖珂郡柳井町と周辺4村をもって柳井市が、
美祢郡大嶺町ほか5町村をもって美祢市があらたに誕生した。
昭和31年には美和町、熊毛町、山陽町が誕生し、
こうして県下では13市34町となり、3年前の市町村数の約3分の1に減った。
これは当初の計画に対して92%の達成率であった。
そして、合併問題とは少し外れるが、
同年の昭和31年、出光興産は近代的な石油精製工場を約1年で完成させている。
当時日本有数の規模をほこるものであった。
あたかも一夜にして出現したこの工場を、
山陽本線の列車の中から望見した人々は驚愕したという。
たとえ現在の技術を持ってしても
1年であの規模のものを造り上げるのはかなり難しいだろう。
また出光興産の進出により、
その後もつぎつぎと石油関連企業の進出がはじまった。
徳山石油化学や日本ポリウレタン工業、日本ゼオンなどである。
こうして昭和30年代、山口の産業はめざましく発展していった。
さて、ここで何が言いたいかというと、
戦後の山口ではたった3〜4年の間にここまでのことをしているのだ。
なのに、現在の山口では、多くの改善案が遅々として進まず、
年々問題は山積みになっていく一方である。
どうして周南合併に10年以上もかけなければならなかったのか?
その10年の間、いったい何をしたのか? 何ができたのか?
それらも明確になっていないまま、今を迎えているのが現状だ。
この市議選で新しく就任される方々に
ぜひとも頑張ってこれらの問題に取り組んで欲しい。
「将来の山口をどれだけ描けるか。」これに尽きると思う・・・。