隣村古江村ウサギ山草津城そば慈光寺畑に観世音菩薩を本尊(禅宗)として祭られ創立。
▼寛永年
近村の廿日市町禅宗洞泉寺の住僧金剛禅師が来て、古江村に海蔵寺を創立するや慈光寺を領して末寺とする。
▼元禄14年(79年後)
普門院日周上人(ふもんいんにっしゅう)【※江戸牛込渡辺喜六の次男幼名喜次郎12歳で剃髪、のちに京都満願寺遠沾院日亨上人(おんでんいんにちこう)の弟子となる】 とその弟子良貞坊と共に西国巡化の途にこの地に錫を留めて大いに逆化の法鼓を鳴らす。
海蔵寺より慈光寺を譲り受けることになり、弟子の良貞坊に委ねて普門院日周上人自ら九州行化にむかった。
▼元禄14年11月
良貞坊はついに海蔵寺より慈光寺を名実ともに譲り受ける。
▼元禄15年11月
九州より帰陽した日周上人は、三次公儀の許可を得て堂宇を草津浦山陽道わきに移転し改築し盛儀をあげる。ここに日蓮宗普門山慈光寺の創立をみることができた。

普門院日周上人を開祖と仰いだその縁をもって慈光寺を京都満願寺の末として今日に至る
▼寛政元年(86年後)
不幸にして祝融の災にあい、堂宇は鳥有に帰してしまう。
▼寛政6年
第5世啓誠院日等上人は、苦心経営の末ついに再建の大業を成し遂げられた。
▼明治26年(100年余後)
第16世龍玉院日研上人(りゅうぎょくいんにちけん)は無禄で諸堂再建の浄願を起こし、本堂や諸堂、表門を相次いで改築していく。前後十余年の苦心の末、当山の堂宇が全く旧観を取り戻すことができた。
檀信徒はその日、日研上人の功を称して慈光寺中興の祖と仰いだ。それ以来、檀信徒は年とともに増率を示ししたがって堂宇の狭隘(きょうあい)を感ずるようになってきた。
▼大正10年
第17世正道日乗上人(しょうどうにちじょう)は、日蓮大聖人生誕第700年の佳歳を迎え、その記念事業として本堂の増築に着手。
▼大正12年
第18世妙道院日正上人(みょうどういんにっしょう)は、先師の遺業を継ぎ、法華経弘通のため布教活動に専念される。

▼昭和20年8月6日
広島に原子爆弾が投下されるや当山も破壊のうけみにあい、本堂諸堂庫裡も大破。日正上人は檀信徒と共に鋭意精進努力し復興の成業を成し遂げる。
▼昭和45年
第19世龍淵院日慈上人(りゅうえんいんにちじ)は先師のあとを継ぎ、日蓮大聖人生誕750年の記念事業として浄霊殿の建設、諸堂の修築、庫裡改築建設、寺宝等の整備して寺観を一新する。
▼平成14年
第20世龍遠院日法上人、日蓮大聖人立教開宗750年および慈光寺改宗300年を記念して、山門並びに庫裡の整備を行う。
▼平成15年
第20世龍遠院日法上人、突然の遷化により第19世龍淵院日慈上人が第20世を継承。
数々の試練を乗り越え、檀信徒と共に護寺発展のため、まい進する。










